長くなりますが、ここぷれの利用を迷っている方、そのご家族、日頃お世話になっている支援機関の皆さまに、「代表はこういう人間なのか」と知っていただけたら嬉しいです。
目次
正直に言うと、コネ入社の銀行員だったかも、、、
キャリアの話をするとき、私はいつも正直に言うようにしています。私が銀行に入れたのは、正直なところ、コネ入社だったような気がします。(真相はわかりませんが、、、)
華々しい志望動機があったわけでも、金融のプロになる夢があったわけでもない。そういうスタートでした。だからこそ、というわけでもないですが、最初の1年は本当に雑務の雑務。郵送業務のような仕事をひたすらこなす毎日でした。
そこからやっと貸付のメイン窓口を任せてもらえるようになったのですが、ここで大きな壁にぶつかります。
私は、事務仕事がめちゃくちゃ苦手だったんです。
書類の細かいチェック、間違いの許されない手続き、膨大な決まりごと。全く慣れない中で、本当に困りました。「銀行員なのに事務が苦手」というのは、今思えばなかなか致命的です。毎日、自分の向いていなさと向き合いながら働いていました。
そんな折、急に異動の話が出ます。先輩から言われたのは、たった一言。
「一週間後から外回りね」
心の準備も引き継ぎもへったくれもありません。そこから、外回りの営業マンとしての日々が始まりました。
最初は決算書の数字も読めない。お客さまから受けた要望にも、その場で応えられない。持ち帰って調べて、また訪問して。まさに悪戦苦闘の毎日だったと思います。
ただ、意外なことに、私はこの仕事が好きになりました。
もともと人と話すのが大好きだったので、飛び込み営業をめちゃくちゃやりました。アポなしで会社を訪ね、断られ、それでもまた行く。数をこなすうちに、少しずつ顔を覚えてもらえるようになり、話を聞いてもらえるようになる。その積み重ねが、純粋に面白かったんです。
そして、あるとき気づきました。社長と直接向き合って営業ができる職種って、実は銀行マンくらいなんですよね。
20代の若造が、地域のいろんな会社の社長と、資金繰りや設備投資といった経営のど真ん中の話を、真正面からさせてもらえる。こんな仕事は他にありません。そこには大きなやりがいを感じていました。
そこから仕事も楽しくなり、最終的には銀行でも賞を取ることもできました。本当に私を育ててくれた銀行には感謝しています。私にとっての原点です。
事務は苦手。でも、人と会って話すことなら誰にも負けたくない。この頃に見つけた自分の「得意と苦手」が、ずっと後になって、ここぷれの立ち上げにつながっていきます。
コロナ禍、実家の製造業へ。「なんでこんな無駄なことやってるんだろう」

転機はコロナ禍でした。
私の実家は、株式会社精密スプリング製作所という、ばね製造の会社を営んでいます。ちょうどコロナの時期に、社長から「戻ってきてくれないか」と声をかけられ、銀行を離れて製造業の世界に入りました。今から5年ほど前のことです。
製造業の経験は、まったくのゼロ。銀行員として外から会社を見ることはあっても、工場の中で働いたことは一度もありません。とりあえず現場に入って、手を動かしてみました。
そこで最初に感じたことを、あまり大きな声では言えないのですが、正直に書きます。
「なんでこんな無駄なことやってるんだろう」
紙の書類が何枚も回っていく。同じ作業なのに、人によってやり方がバラバラ。長年の「当たり前」として続いている、誰も疑問を持たない非効率な段取り。外から来た人間だからこそ、余計に目についたのだと思います。
とはいえ、入ったばかりの人間がいきなり「これ、無駄ですよね」とは言えません。現場には現場の歴史とプライドがあります。最初はぐっとこらえていました。
でも、途中から「もう振り切ってしまえ」と思ったんです。
遠慮しながら中途半端にやるより、おかしいと思ったことは口に出して、自分で手を動かして変えていく。そう腹をくくってから、現場改善に本格的に取り組み始めました。
そしてその過程で、DX――デジタル技術を使った業務改善に出会います。もう、どんどんどんどん、はまっていきましたね。
「一人前まで3年」を、1年以内に変える
いちばん思い入れのあるエピソードがあります。
ばねの製造は、昔から「職人の仕事」と言われてきました。私が現場で言われたのは、「一人前になるまで3年かかる」という言葉。まるで寿司職人みたいなことを言うんだな、と、今でもはっきり覚えています。
それを聞いて、私はこう決めました。
「絶対に、1年以内で一人前に育てられる仕組みをつくってやろう」
ちょうどその頃、作業手順書のマニュアル化を簡単にできるシステムに出会いました。
職人の頭の中にしかなかった技術やコツを、写真や動画つきの手順書のかたちで「見える化」していく。誰が見ても同じように作業できる状態を、一つひとつの工程でつくっていく。地道な作業でしたが、教育にかかる時間は大きく変わりました。
私にとって最初のDXであり、現場が目に見えて変わっていった、いちばん思い出深い改善です。
ありがたいことに、こうした取り組みは社外からも評価していただけるようになり、全国ワークスタイル変革大賞の中国・四国大会で最優秀賞をいただくなど、思いがけない広がりも生まれました。
ただ、賞そのものより大事だったのは、この経験を通じて確信できたことです。
仕事は、仕組みしだいで「特別な人にしかできないもの」から「誰にでもできるもの」に変えられる――。
この確信が、次の出会いにつながります。
たまたま隣に座った人が、すべての始まりだった
DXで現場を見える化していくと、面白いことに気づきます。
製造業の仕事は、たくさんの工程の組み合わせでできています。長年の経験が必要な工程もあれば、手順さえ整えれば未経験の方でも確実にできる工程もある。
つまり製造業とは、本来とても「役割分担」に向いた仕事なんです。
そんなことを考えていた時期に、ある会社さんを訪問して、障がいのある方が働いている現場を見かけました。聞けば、就労継続支援B型という仕組みを使って、福祉事業所と連携しているとのこと。
正直に言うと、それまでの私は「就労支援」という言葉すら、ほとんど知りませんでした。障がいのある方の雇用について、真剣に考えたこともなかったと思います。
ただ、その現場を見て「うちでもやってみたい」という気持ちが、はっきりと芽生えました。
そして、ここからが本当に偶然なんです。
あるとき、知り合いの社長が主催する就活イベントに参加しました。福祉とはまったく関係のない場です。
そこで、たまたま隣の席になった方と話をしたら、その方がまさに、障がいのある方の就労を支援する仕事をされていたんです。
探して見つけた出会いではありません。向こうから来た出会いでもありません。ただ、隣に座っただけ。でも、あの偶然がなければ、今のここぷれはありませんでした。
「うちの工場でも、お願いできますか」
思い切って依頼してみたところ、結果は想像以上でした。
私たちが人手不足でずっと困っていた作業を、皆さん本当に丁寧に、一生懸命やってくださる。品質も安定している。現場としては、めちゃくちゃ助かりました。
これは過去の美談ではなくて、実は今もずっと助けていただいています。
「障がいのある方に仕事をお願いする」というと、社会貢献の文脈で語られがちですが、私たちにとっては違います。現場を支えてくれる、大切な戦力です。
障がいのある方の「働きたい」という力と、製造業の人手不足。この2つが結びついたときに生まれる力を、私は自分の会社の現場で、目の当たりにしたわけです。
「福祉×製造業、めちゃくちゃいいな」――だったら、自分でやればいい
この経験で、私の頭の中にひとつの言葉が浮かびました。
「福祉×製造業って、めちゃくちゃいいな」
福祉の側には、「働きたいのに、働く場所や機会が足りない」という現実があります。就労継続支援B型の工賃は全国平均で月額約2万3千円(厚生労働省・令和5年度実績)。「B型だから仕方ない」と言われてしまいがちな水準です。
一方、製造業の側には、深刻な人手不足があります。仕事はあるのに、人がいない。
この2つは、正しくつなげば、お互いの答えになる。
福祉の「働きたい」と、製造業の「働いてほしい」を結びつければ、利用者さんはしっかり工賃を稼げて、企業は現場が回る。どちらかが我慢する関係ではなく、両方が助かる関係がつくれるはずだ、と。
すぐに知り合いの社長に相談し、実際の作業の様子も見せてもらいました。そのとき、ぱっとひらめいたんです。
「これなら、うちでもできる」
それなら、外部の事業所にお願いするだけじゃなく、自分たちで就労支援の事業所を持てばいい。
送り出す福祉側と、受け入れる企業側。その両方を自分たちでやれば、「福祉×製造業」をひとつの輪の中で完結させられる。こうして私は、自分で就労支援の会社を立ち上げようと決めました。
とはいえ、決めたはいいものの、私には福祉の知識、特にB型事業所の制度や運営についての知識がまったくありませんでした。
障害福祉サービスの世界には、報酬の仕組み、人員配置の基準、行政への届け出など、覚えることが山ほどあります。
そこで、岡山県の財団の制度を使って専門家の顧問派遣を受け、制度のこと、運営のことを一から教わりながら、自分なりに構想を練っていきました。
銀行で学んだ事業計画の見方が、ここで少し役に立ったのは、ちょっとした恩返しのような気分でした。
そして、いよいよ動き出そうと、募集をかけたんです。
ずっと無視していた電話。出たら、糸井でした
ここから先は、自分でも出来すぎだと思う話です。
募集をかけた頃から、私の携帯に電話が何度もかかってくるようになりました。皆さんもそうだと思うのですが、非通知の電話って、ちょっと出る気になれないですよね。営業電話だろうと思って、私もずっと無視していました。
ある日、なぜか、たまたまその電話を取ったんです。
相手は、糸井と名乗る方でした。今の「ここぷれ」の前代表です。話を聞くと、糸井は自分の想いを込めてB型事業所「ここぷれ」を立ち上げたものの、運営に本当に困っている状態でした。
想いはある。事業所もある。でも、経営がうまく回らない――電話越しにも、切実さが伝わってきました。
そのとき私が言った言葉を、今でも覚えています。
「じゃあ僕が、この会社もらいましょうか。一緒にやりましょうか」
我ながら、すごい軽いノリでした。会ったこともない相手に、電話一本で。人生を変える決断って、案外そういうものなのかもしれません。
もちろん、軽いノリだけで決めたわけではありません。後日実際に会って、じっくり話を聞きました。
糸井がここぷれに込めた想いは、こういうものでした。
障がいがあっても、「働きたい」「稼ぎたい」という気持ちを持つ方はたくさんいる。
一人ひとりに合った仕事を提供して、工賃をたくさん稼ぐ喜びを知ってほしい。そして、充実した日々を過ごしてほしい。
ここぷれに通いながら働くことで、その方の人生がより豊かなものになるように――。
聞きながら、すごく共鳴したんです。
私が製造業の現場で見てきたのは、「働きたい気持ちと本物の仕事が結びついたときの力」でした。
糸井が福祉の現場で見てきたのは、「働く喜びを諦めたくない気持ち」でした。入り口はまったく違うのに、目指している場所が同じだったんです。
私には、糸井にない「企業側の現場」と「仕事」があります。糸井には、私にない「福祉への想い」と「支援の経験」があります。これはもう、組むしかないだろうと。
「じゃあ、一緒にやろう」
こうして、糸井が2025年8月に設立した合同会社CoCo Placeを、2026年5月に私が代表として引き継ぎ、今の体制になりました。
事業所の場所も、「ここぷれ」という名前も、糸井がつくったまま、何も変えていません。変える必要がなかったからです。
引き継いでから――正直、今も大変なことだらけです

創業ストーリーというと、ここから成功談が続きそうなものですが、正直に書きます。今も、大変なことだらけです。
利用者さんに、まず知っていただく難しさ
いちばんは、利用者さん集めです。これは糸井もずっと苦労していたところで、私も日々、めちゃめちゃ大変だなと痛感しています。
どれだけ良い仕組みをつくっても、まず知ってもらえなければ始まらない。そして知ってもらえても、大切なご本人やご家族の人生に関わる選択ですから、簡単に選んでいただけるものではありません。
だからこそ、支援機関の皆さまのところへ足を運び、私たちの取り組みを一つひとつお話しして、どうすれば信頼していただけるかを考え続ける。その繰り返しです。
このホームページやこのブログも、その取り組みのひとつです。
かつての「貸す側」から、融資を受ける側へ
お金のことも、すごくリアルな苦労でした。事業を引き継ぐにあたって、銀行の融資を借り直す必要がありました。
かつては貸す側だった私が、今度は借りる側として銀行の窓口に座る。事業計画を説明し、審査を待つ。
あのときの緊張感は、銀行員時代に向き合っていたお客さまの気持ちを、身をもって教えてくれました。
職員との信頼関係を一つずつ築く
それから、職員さんとの関係づくり。私は「後から来た者」です。
糸井の立ち上げた事業所で働いてきた職員さんたちからすれば、ある日突然やってきた新しい代表を、すぐに信頼できるはずがありません。それが自然だと思います。
だからこそ、たくさん話をして、現場に入って、約束したことを一つずつ守って。少しずつ信頼してもらえるように、今もまさに頑張っている最中です。
かっこいい話ではないですが、これが立ち上げの「裏側」の、いちばん正直なところだと思います。
それでも「やってよかった」と思えた、2つの瞬間
そんな日々の中で、「ああ、やってよかったな」と心から思えた瞬間が、2つあります。完全に私の個人的な主観ですが、聞いてください。
糸井と「これから」を話せるようになったこと
ひとつは、糸井とご飯を食べていたときのことです。
引き継ぎが進んで、糸井が一人で抱え込んでいた不安を、少しは取り除けたかなと感じられるようになった頃。食事をしながら、糸井が「本当にありがとうございます」と言ってくれたんです。
そのとき私は、感謝された嬉しさよりも、「この人と、これからもずっと一緒にやっていきたいな」と、自然に思っている自分に気づきました。
その後、糸井が「もっと事業所を増やしたい」と、これからの夢を語ってくれたことがありました。
会社を「もらった」「引き継いだ」という関係を越えて、これから一緒に走っていく仲間ができたんだと、はっきり感じた瞬間でした。
不安を抱えていた利用者さんが、現場の戦力になったこと
もうひとつは、利用者さんの姿です。
新しく来られたある利用者さんは、製造業なんてまったく知らない世界で、「自分にできるだろうか」と、とても不安がっておられました。
無理もありません。工場と聞くだけで、難しそう、厳しそう、というイメージを持つ方は多いと思います。
でも、私たちには自信がありました。
企業の現場に「送り出して終わり」にはしません。利用者さん一人ひとりの特性や体調を分かっている支援者が現場に同行し、企業側は作業の切り出しと手順の明確化に集中する。
福祉と企業が二人三脚で支えるからこそ、未経験の方でも、安心して一歩ずつ慣れていけます。これは、私が精密スプリング製作所の側で、受け入れる企業として実際に経験してきたやり方です。
その方が今では、現場でばりばり仕事をしてくださっています。
その方が喜び、楽しみながら仕事をしている風景を見ると、本当に、やってよかったなと感じます。
銀行で学んだ「人と向き合う力」も、製造業で磨いた「誰でもできる仕組みづくり」も、全部この風景のためにあったのかもしれない、とさえ思います。
「ここぷれ」という名前と、ロゴに込めたもの

「ここぷれ」――正式には合同会社CoCo Place。この名前は、糸井が名付けたものです。
込められているのは、「みんなの憩いの場所になれるように」という想いです。
働く場所である前に、ここに来るとほっとできる、自分の居場所だと思える場所でありたい。「CoCo(ここ)」という響きには、そんな願いが入っています。
そこから、新しくロゴもつくりました。ぱっと見はシンプルなマークですが、実はたくさんの意味を重ねています。
支援者と利用者さんが向き合う姿
重なり合う形は、支援者と利用者さんが向き合う姿。中にあるドットは「目」を表していて、視線が重なり、心が通じ合う瞬間をイメージしました。
言葉にしなくても、心で通じ合える温かい場所でありたいという意味です。
ロゴに隠された「S」
よく見ると、隠れた「S」の曲線があります。
これは「途切れることのない未来」を表すと同時に、サポート(Support)、スマイル(Smile)、就労(Shuro)という3つの想いを込めた「S」でもあります。
手と手を取り合う場所へ
そしてロゴ全体は、手と手を取り合う形にもなっています。
利用者さんも、ご家族も、職員も、地域の企業も、みんなで手を取り合って一緒にやっていこう、という意味です。
事業所にお越しの際は、ぜひロゴを見てみてください。
名前とロゴに込めた想いのまま、そういう場所であり続けられているか。私たちにとっての、ものさしでもあります。
これから――ここぷれを「出発点」にできる事業所へ
最後に、これからの話をさせてください。
ここぷれには、これからいろいろな方が来られると思います。
体調と相談しながら、ゆっくり自分のペースで働きたい方。もっとお金を稼ぎたい方。社会の役に立ちたい方。働く理由も、目指すところも、一人ひとり違っていていい。
私たちの強みは、製造業との連携があるからこそ、事業所内の作業から企業の現場での施設外就労まで、その方に合わせたプランで仕事を組み立てられることです。
企業の生産活動に直接参加するから、事業所としてしっかりした収入を確保でき、それを利用者さんに工賃として還元できる。
この好循環があるから、ここぷれは時給800円、習熟に応じて時給1,000円という工賃水準を実現できています。
「頑張りが、きちんと工賃に返ってくる」を当たり前にしたい。
その想いで、仕事の中身にも、工賃にも、これからもこだわり続けます。
ここぷれを「ゴール」ではなく「出発点」にする
その上で、私には目標があります。ここぷれを「ゴール」ではなく「出発点」にすることです。
ここぷれで経験を積み、自信をつけて、その先の一般就労や正社員化へ。そういう方をどんどん輩出できる事業所になりたい。
福祉×製造業という仕組みは、そのための橋だと思っています。
もちろん、ここぷれでじっくり長く働き続けたい方には、その働き方を全力で支えます。大事なのは、選択肢があることです。
関わるすべての人が、楽しくいられる環境を
そしてもうひとつ。これは私個人の、いちばん根っこにある想いですが――私は、楽しく生きていきたいんです。
利用者さんも、ご家族も、職員も、関わってくださる企業の皆さんも、みんなが楽しくいられる環境をつくっていくこと。
難しい理屈よりも、結局はそれがいちばん大事なんじゃないかと思っています。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
元銀行員が、実家のばね工場でDXにはまり、たまたま隣に座った人と出会い、たまたま取った一本の電話で今ここにいる。
振り返れば偶然だらけの道のりですが、その偶然のすべてが、「働きたい気持ちに、本物の仕事と確かな工賃で応える」という一本の道につながっていました。
ここぷれの利用を迷っている方、ご家族の方、支援機関の皆さま。まずは見学からで大丈夫です。
この記事を読んで少しでも気になった方は、どうぞお気軽にご連絡ください。事業所で、お待ちしています。
まずは、ここぷれを見に来ませんか?
「自分にできる仕事があるか不安」「事業所の雰囲気を見てから考えたい」という方も、まずは見学からで大丈夫です。ご本人だけでなく、ご家族や支援機関の方からのご相談も受け付けています。
電話受付:平日8:30〜17:00
代表プロフィール

合同会社CoCo Place 代表社員
合同会社CREWS SHIP 代表社員
株式会社精密スプリング製作所 役員
濱田 洋輔
Yosuke Hamada
金融機関でキャリアをスタートし、コロナ禍を機に家業である株式会社精密スプリング製作所へ。
未経験から製造現場に入り、DX(デジタル技術)を駆使した現場改善に取り組む。「一人前まで3年」と言われた職人技術の育成を、マニュアルのデジタル化によって大幅に短縮するなど、データドリブンな意思決定と実践的なアプローチで生産性向上を実現。
全国ワークスタイル変革大賞 中国・四国大会 最優秀賞を受賞するなど、その取り組みは社外からも評価されている。
製造業の現場で障がいのある方の働く力に出会ったことをきっかけに、「福祉×製造業」という支援のかたちを実現するため、2026年より合同会社CoCo Place代表に就任。
「利用者さんを送り出す福祉側」と「受け入れる企業側」、両方の現場に立つ当事者として、就労継続支援B型事業所「ここぷれ」を運営している。
